絹 丝绸(中)/Silk(英)/Soie(仏)/Seta(伊)/Seide(独) |
発祥時期と地域 | 概要 | 補記 |
BC6,500年頃 中国 | 絹の発祥? | この頃には既に絹が作られていたとも。 |
BC3,630年 中国 | 現存する 最古の絹 | 中国で絹が生産されていた最古の証拠。 |
BC1,070年 古代エジプト | 中国絹の出土 | ミイラの髪として絹糸が使用。 エジプトに絹が渡っていたことを証明する最古の証拠。 |
BC8世紀頃 古代ギリシア | 絹?の記録 | 『オデュッセイア』に「タマネギの皮のように輝く服」の記述。 |
BC4世紀頃 中国→日本 | 絹の製法教示 | 日本に絹の製法伝来。質は中国製に遠く及ばず。 |
BC200年頃 中国→インド | 〃 | ホータン王国(現中国ウイグル自治区)、インドに養蚕技術を指導。 |
BC30年〜 古代ローマ | 西欧世界へ | エジプトを占領したことで絹の存在を知り中国を目指す。一部が絹の買い付けに成功。 |
BC27年〜14年 古代ローマ | 絹の大流行 | 金と同価値という高価すぎる絹への批判の声を受け、初代皇帝ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥスが禁止令を出すが形骸化。 |
218年〜 222年 古代ローマ | 絹100%の服 | 23代皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥスがローマ人初の絹100%の服を着る。 それまでの絹の装束は綿や麻との混紡。 |
532年〜549年 中国 | 現代並の養蚕 | 『斉民要術』に現代とほぼ同じレベルの養蚕技術記載。 |
527年〜565年 東ローマ | 蚕の卵密輸 | ユスティニアヌス朝第2皇帝ユスティニアヌス1世に仕えていた修道士が杖に卵を隠し密輸。 製造はコンスタンティノープル大宮殿でのみ行われ、主に高官や皇室用に。 |
1,096年〜1,099年 イタリア | イタリアでの 生産開始 | 十字軍によって東ローマの養蚕技術がイタリアへ伝来。 12世紀にはヨーロッパ製品のほぼ全てとなる一大絹生産地に。特にレース編みで有名。 |
1,350年〜1,588年 日本、朝鮮 | 倭寇(海賊) | 高価な絹を主とした中国製品の略奪および密売買。貿易が中止されている期間が特に顕著。 倭となっているが朝鮮人との混成海賊で、後期倭寇(1,523年〜)では朝鮮人の方が多い。 |
1,461年〜1,483年 イタリア→フランス | イタリアの職人 フランスへ | ヴァロワ朝第6国王ルイ11世がイタリアの職人を引き抜きリヨンに。 この後イタリアは流出する技術者に対し財産の没収や斬首などを課すように。 |
1,540年〜1,600年 ヨーロッパ全土 | 技術の拡散 | ヨーロッパ各地に絹製造の技術が伝播。 |
1,607年 /1,619年 アメリカ(イギリス) | アメリカでの 養蚕開始 | 1,607年、イギリスが当時植民地であるアメリカ大陸で養蚕を開始。 1,619年に成功。 |
1,618年 イギリス | イギリスが 養蚕に失敗 | ステュアート朝初代国王ジェームズ1世が国内での養蚕を試みるも失敗(品質粗悪)。 |
1,685年〜 /1,735年頃 日本 | 日本製の 品質改良 | 鎖国により中国絹が手に入りにくくなったことで、国内絹の品質向上が試みられる。 江戸時代中頃には中国絹に並ぶ品質に至る。 |
1,702年 イギリス | イギリスでの 生産開始 | イギリス国内での絹の製造開始。 |
1,849年〜1,872年 ヨーロッパ | 微粒子病流行 | 地中海を中心に蚕の病気が流行する。 |
1,854年 日本 | ヨーロッパと 取引開始 | 1,639年より行われていた鎖国の解除(開国)。 ヨーロッパでの微粒子病の流行が追い風となり、絹の一大生産地に。 蚕不足に悩んでいたイタリアは日本から卵を買い付け。 |
1,872年 フランス→日本 | 日本初の 器械製糸工場 | フランスの全面協力のもと富岡製糸場を建設。 |
1,909年 日本 | 日本が 生産量1位に | 日本の絹生産量が世界1位に。 |
1,972年 日本 | 日本での 生産大幅減少 | 日中国交正常化により安価な中国絹が手に入るように。 和服の需要減少とも併せ富岡製糸場が閉業。 |