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カタフラクト
Cataphract(英)/Cataphractaire(仏)/Catafratto(伊)/Kataphrakt(独)

 近東で発祥したと見られる重装騎兵騎士の前身。
語「カタフラクト」は「(完全に)武装した」を意味するギリシア語「κατάφρακτος」に由来し、ローマ帝国およびそれと敵対する中東の国々で用いられました。

 カタフラクトは簡単に言うと馬も武装した騎士であり、前方のみを武装したものをカタフラクト、全身を武装したものを「クリバナリウス(Clibanarius(ラテン))」と呼びますが、オリエント諸国ではこれらは逆転します。
その他騎士との違いは騎士が称号や領地といった権威を持つのに対し、カタフラクトはあくまで「武装した馬に乗った一般兵」として扱われる点です。
そもそもが飼育のノウハウや練度の観点から騎馬を得意とする属国民を採用しているケースが多く、地位が高くならないのはその辺りの事情もあります。

 カタフラクトはギリシアおよび中東では紀元前5世紀、ローマ帝国ではハドリアヌス帝政時代(117年〜138年)、中国では三国時代(184年〜280年)でその存在が確認されています。
製鉄技術の発達により歩兵の装備が重厚になっていく中で、従来と同等以上の機動性を確保する目的でカタフラクトは生まれました。
黎明期では馬にチェインメイルを着せで戦うというスタイルでしたが、時代を下るにつれそれらはスケイルアーマーへとシフトしていきます。

 カタフラクトは戦闘開始直後において敵の隊列を崩す役割を担っていましたが、単に騎馬となれる馬の育成だけでもそう易くない中で、装甲だけで40kgもある重量を支えられるだけのそれを育成するのは簡単な話ではありません。
例えその重量を支えられたとしても騎馬としての小回りは大幅に削られることになり、離脱に失敗すると容易に崩されるというデメリットがありました。
これを受け馬を裸ないし極めて軽装備にしたものが後の騎兵であり騎士であり、以後それらの時代へとシフトしていきます。