[トップ][もどる]

   


武士
Bushi(英)/Bushi(仏)/Bushi(伊)/Bushi(独)


Samurai(英)/Samouraï(仏)/Samurai(伊)/Samurai(独)

 平安時代の貴族に仕えていた武官が、主君である貴族傀儡とし政治の主導権を握ったもの。およびその家来
武官とは軍事担当の公務員のことで、貴族侍従していたことから前者の上級武士は「侍」とも呼ばれます。
領地を持つ武士がこの「侍」となりますが、その中でも石高(税収)の多い有力侍は大名やその側近、役人などになり、それ以外の下級侍は「平侍」として区別されます。
そしてそれ以下、彼らの家来にあたる下級武士は「徒士」となります。
分類概要

 石高の多い上級武士。乗馬可。
大名、侍大将、大名の側近、役人など。
平侍石高の少ない中級武士。乗馬可。
上は役職に就けても見下される者から、下は極貧生活の者まで。
 徒士領地を持たないなどの下級武士。乗馬不可。
半農生活の傭兵傘張り浪人など。

 武士は職業ではなく資格であり、役人など特定の職に就いている者を除き必要に応じての招集となります(非常勤)。
資格とは武器を扱って良い、制裁行為を行って良いなどで、加えて上級武士である侍は戦の際の乗馬も認められます。
この資格は家単位で付与されるため(武家)、世襲制ではありませんが事実上のそれとなります。
なお制裁行為は決闘という形式が採られ、相手に自らの脇差(短い刀)を貸与することで行われます。
このため武士は刀を2本携行することになり、それにより彼らは「二本差し」とも呼ばれます。

 武士の主は常に1人ですが、この主は自由に変更することができました。
優れた主を探し見極めることも優れた武士の条件とさえされ、鞍替え中の主がいない状態の武士は「浪人」と呼ばれます。

 10世紀から19世紀の長きに渡り日本を支配した彼ら武士でしたが、政治の権力を天皇に返還する旨の大政奉還(1,867年11月9日)が江戸幕府第15代将軍徳川慶喜によって行われたことでその終止符が打たれます。
以後は「士族」と形を変えて華族(旧貴族)に次ぐ有力家として存続しましたが、これも1,947年12月22日の家制度廃止をもって消滅しました。


 武士は西洋の騎士と並び例えられ、「武装した封建領主」という点で共通します。
武士との違いは複数の主に仕えて良いこと、国家を超える権力は持ち合わせていないなどです。
それ以外ですと、イタリアのマフィアが近いものとなるでしょうか。